wakamatsu

武田先生

武田康男先生を
ご紹介いたします。

武田先生は、永年、北九州市立療育センター歯科部長として、口唇裂・口蓋裂やダウン症のお子様の支援を続けて来られました。療育センターを定年退職後、当院では先生の診療活動の一助として、毎週金曜日に武田先生の診療日を設け、主にカウンセリングと医療的ケアの場を提供させていただいております。

歯科医師

武田 康男

たけだ やすお

武田 康男(たけだ やすお)

我が子の出生に不安がある
ご家族とそれを支える医療者に

何らかの医療的な問題を持って生まれてくる子どものご家族や子どもとご家族とを支える医療者が問題がなんであり、何をしなければならないか。これは今までもこれからも問われ続ける課題であると思います。
一人の人の人生を俯瞰すると、支えの中で最も重要な時期は、出生前後のはじまりの時のご家族の支援と、成長期の本人が自我に目覚め、自分に向きあわなければならない青年期の二つであると思います。
この二つの重要な時期のうち、私は口唇裂・口蓋裂に関しては、子どもが生まれる時の支援をーすなわちはじまりの時の支援を中心に引き受けて今日まで歩んできました。しかしなかなか思春期以降のご本人の課題に向き合う機会がないままでいました。幸い、有松稔晃先生のもとで思春期以降の成長した青年たちにお会いする機会を得ることができました。
人生の行方を左右するこの二つの時期に心を込めて関わる医療者の存在が必要であること、そのためには二つの時期の重要性を理解しながらを、自分に与えられた時期の課題の責任を引き受けて、子ども、ご家族と共にする決意が必要であると、再度理解できたことを心から感謝しています。
これらの時期に共通するものはいのちに向き合うことではないでしょうか。いのちとは何か、ご家族にとっても、本人にとっても、医療者にとっても大切な出発になります。
私は複眼の視点で見ることで初めていのちを理解できると思っています。家族も、医療者も、複眼の視点で出来事に向き合うということが求められている。そのことを具体的な関わりの中でご紹介します。今も、はじまりの時を中心に働いている私の支援のあり方をご紹介したいと思います。

はじまりの時

この時期は、いのちが問われる時なのです。子どもに対する医療的な対応とともに、ご家族の受容の問題を配慮した関わりが重要な時であることを理解しなければなりません。
なぜならいのちは複眼の視点で捉えることができるからです。いのちへの関わりが始まりを支えるのです。
適切な医療的ケアと家族支援との複眼の支援こそが始まりの時の最重要課題と言えるのです。

1)
はじまりの時は、いのちが問われる時。いのちとは何か。

いのちは 複眼的である いのちは 見えるもの、見えないもの

口唇裂・口蓋裂のある子どもに対して、その生理的生命の領域に関しては可及的速やかにNAM-Hotz床を装着すること。同時に哺乳指導を行うことが大切です。そのためには、Hotz床が必要か否か。またHotz床装着後には責任を持って哺乳指導を行う知識と技術とが求められます。全身的な問題がない限り、出生日に安全に顎印象を取り、口蓋児用の乳首を用いずに哺乳指導を行うことが大切です。

一方、応答の領域としてのいのちに対しては、ご家族が安心して子育てを始められる状況を作り出す家族支援が求められます。ご両親の子どもにはご両親とは異なる独立した生命と人生が存在すること、そのことをお伝えしながらご家族の前で、子どもの出生に対しての祝福が求められます。
同時に、口唇裂・口蓋裂に関する医療専門家から聞く間違った情報に対する誤解をきちんと解くこと。ご両親の責任は、子どもの口唇裂・口蓋裂の原因を引き受けることではなく、子どもに祝福の人生を用意すること。そして、ご家族の恐れや不安に共感しながら、希望を共に語り合うことです。
私は、ご家族とのカウンセリング時のテーマは、子どもが成人になった時、どのような人として社会に送り出さか、一緒に話しをすることこそ大切なテーマであると学びました

2)
はじまりの時、
ご家族の根本問題は

逆に口唇裂・口蓋裂のある子が生まれる。その時に生理的領域の医療の問題のみが前面に現れて、子どもとの応答の関係、親子の大切な関係が見失われて、病気や障害や死などが親の心を大きく占めてしまうことこそ医療者が気をつけなければならない課題と考えます。
家族の不安と恐れとは<親は、自らが子どもとの関係を育てる独立した主体であることを見失いすべてを医療の診断と治療に委ねざるを得ない状況に置かれ、目に見えない死を経験することです。それは無力である存在から派生する悲しみ>と捉えることができます。

3)
ご家族に必要なこと

私は、<裂>という言葉は、医療の世界にしか通用しない業界用語だとご家族に説明しています。なぜなら普通の社会の中では、<裂>とは<裂ける>ということだからです。
当然、ご家族は医療者が説明するその言葉をそのまま聞くことになります。でも、医学的にも発生学の視点から見ると、裂という言葉は事態を正確な表現していないし、誤解をご家族に与えてしまう言葉なのです。なので、安易に医療の世界の言葉を鵜呑みにして、間違った理解で子育てを始めないようにしていただきます。それは、親だけでなく子ども自身が誤解に陥るきっかけになるからです。
一方、ご家族にしか果たせない責任があります。祝福の道を子どもの人生にしっかり備えることです。そのためには、隠すことが一番やっていけないことだとお伝えしています。
嘘を言わないこと。子どもからの問いかけに応えることを避けないこと。もちろん、出生後すぐにそのお気持ちになることは難しい場合が多いでしょう。だからこそ、医療者は配慮しながら気持ちを支えなければならないのと、裂という言葉を告げることが隠さないこととは違うことをしっかり伝えなければなりません。
子どもを祝福してくれる人々を用意することもご家族の責務です。子どもが成長する中で出会う友人家族等に対して、祝福していただく理解を育てることは親の務めだと思います。それは難しいことではありません。子どもの命と人生を祝福していること。大切な我が子に愛情をいっぱい注いでいること。

4)
医療者に必要なこと

最終目的は、社会人として自分の出生時の問題に対して誤解なく受け止めた成人として親元を旅立つことです。私たちの医療の一つ一つは、そのための道標でしかありません。
でも、その道標は確かな未来に向かって歩む本人と、ご家族への大切な足元数歩先を照らす明かりでもあります。今必要なこと、それは精一杯力を尽くして一緒に歩むなら、きっと、一人一人の子どもの人生は、その人だけの人生として価値のある未来となるでしょう。
医療連携とは、単にチームワークというだけではなく、それぞれの医療者ができる責務を十分に果たして、一人の人の人生に関わることです。心を尽くして、一緒に歩ませていただける限り感謝して歩みたいと願っています